写真を観た後は、こういうスナップ写真を撮る時も水平を取りたくなります

写真を観た後は、こういうスナップ写真を撮る時も水平を取りたくなります

 国立新美術館にアンドレアス・グルツキーの展覧会を見に行ってきました。恥ずかしいながらに彼のことを知ったのは、ちょうどカリフォルニア・デザイン展を観にいったときに、告知で「99セント」の写真が飾ってあって、“面白いな”と思ったのがきっかけでした。グルスキーは現代写真芸術家として確固たる地位を築いていて、作品に付けられた破格の値段でも話題ですが、デジタル技術を駆使した技法に、個人的にもいろいろ思うことがあったのでレポを書きたいと思います。
 グルツキーの詳細は付け焼き刃で書いてもしょうがないのでコチラを参考にしていただきつつ、彼自体、大勢の群衆を取った「東京証券取引所」のような作風から、水面を加工して絵のように見せる「バンコク」など、さまざまな作風があります。その中で感銘を受けたのは「99セント」のような、人間の目のスペックが増強されたような超ワイドレンジな写真。作品を観ると超ハイスペックなカメラで撮影しているのは間違いありませんが、それだけでももちろん作品は再現できないので、さまざまなパースに分けて、あたかも一枚絵になるようにトリックを仕掛けているところが面白いです。“そんなに遠くまでもディテールがちゃんと見える”というのが、何だか自分の目が勝手にレベルアップしたような錯覚を受けます。その体感的な刺激に引き込まれるし、方向性としてもけっこう分かりやすい。
 で、もちろんこうしたトリックはデジタル技術を駆使して作られているわけですが、その正確さや超平面的に見せる感じが何ともドイツっぽい作風だと思うわけです。ちょっと音楽との対比になってしまいますが、デジタル領域での作曲ツールは、ABLETON LiveしかりSTENIBERG Cubaseしかり、代表的な多くがドイツ・メイド。同じく音楽と映像を操作するMax/MSPなんかにも通じる=数値や階層で決め込む世界観があります。色味なんかはわりと絵っぽくなっていたりしても、方法論的にはかなり0・1の世界だし、正確無比なものを芸術性として高めている印象で、これは今の音楽の制作方法論にも似ていると感じるわけで、僕としては妙に親近感が沸いたし、そこが彼の作品が今受ける理由なのかもと思います。
 ただし、一瞬の芸術的を切り取ったパワーみたいなものがあるかといえば、そこは正直弱いです。同じ大勢の人間を奇麗に収める写真なら、アラーキーが国技館で力士を撮影した(作品名忘れました)作品の方が個人的にははるかにインパクトがありました。その点グルスキーは構図を決め込んで緻密な加工を施すという、工芸品的な価値があるように感じました。また、建造物だったり、砂漠のF1コースを絵画化したり、延々と続く畑をフラットに見せたりと、特に“直線”を芸術的に見せるためのネタ選びのセンスは抜群ですが、それは僕が男だからそう感じた部分もありそう。工場の配管だったり、代表作の「カミオカンデ」も元は科学技術装置なので、わりと男性的な目線だと思います。
 ここで個人的なエピソードを1つ。「バンコク」シリーズは川の水面を撮影して絵画風に加工しているのですが、川の中にはいろんなゴミが浮いていて、それがなぜか日本のお菓子ばっかりだったこと。その1つに“マスカット・キャンディ”があって、そういえば実家のお向かいさんの家に行くと、いつも居間の机の上にこのキャンディが置いてあったな〜という記憶がよみがえってきました。まだ、あのキャンディって売っているのかなぁ?観に行く人がいたら、ぜひ探してみてください。ひとつ残念だったのは、作品自体は非常に大きくて圧倒されるのですが、あの作品を収めているガラス、何とかならないんでしょうか……?緻密な作品なので隅から隅までじっくり観たいのに、
天井のライトや自分が映り込んでしまうのは、何だか興ざめしてしまいます。最近観た写真展だとマリオ・ジャコメッリも印象的でしたが、そういえば彼はモノクロのプリント写真にさまざまな加工をしていたタイプでした。(ジャコメッリはほかにもストーリー展開をしたりする作品も多々あります)

 そんな意味でもグルスキーは、ジャコメッリのような方法論を最新のテクノロジーを使って追求している1人なんだなと思いました。やっぱり写真の枠組みで表現するのって、どれだけ細かいことをやっても抽象的にはなりにくいので、ストレートに観る人の心に響きますね。そのあたりはグルスキーを観たあとでも、やっぱり写真っていいなぁと思いました。(個人的に抽象的な絵画は苦手だというのも理由)グルスキー展9/16まで国立新美術館でやっていますので、ぜひ足を運んでみてください。