移住の話。
2017年は転機の一年になりそうだ。11月の今、来月に控えた北海道・東川町へ移住の準備の真っ最中。でも、移住という言葉がアタマをよぎるようになって、まだ半年が経たないくらい。こんな早々に移住を決めるなんて思ってもいなかった。思い返せば、数年前の会社員時代に一度、葉山に住もうと思って物件を探しにいったこともあった。海沿いの過ごしやすい環境に惹かれたけど、交通費や都心までの移動時間、ガソリンや高速代を考えたら、都心のマンションに住んだほうが割安だと、早々に諦めた。たぶんその時は都心を離れて暮らしてみたいという軽い気持ちだったのだろう。だからこそ諦めも早かった。移住に関するひとつの転機は、会社を辞めてフリーランスになったこと。もちろんフリーでも忙しいときはあるけど、会社と違って自分で働く時間をコントロールできるようになり、毎日料理を作ったりと、日々の暮らしを充実させながら、都心ながらにわりとユルめの生活を送れるようになったことが大きいと思う。もうひとつはトレイル・ランニングをはじめたこと。以前は自転車で通勤をしていたが、家で働くようになって運動不足を解消するためにランニングをはじめた。そうしたら遊び仲間たちも走り始め、そのうちにトレランをやるようになって、一緒に山に行くようになった。週末になると山へ行く機会が増えると、あらためて自然のなかにいることに魅力を感じるようになった。でも、都心を離れて暮らしたいとまでは思っていなかったし、どこか特別に住みたい場所があったわけでもなかった。でも、このまま東京で仕事を続け、50歳、60歳と歳を重ねていった時、自分が幸せと感じる環境がこの街ではないことは、何となく分かっていた。
移住を決めるきっかけになったのは、熊野古道だった。嫁の大学時代の先輩が熊野古道がある和歌山・田辺市に住んでいたこともあり、今年の六月に田辺~熊野大社という中辺路と呼ばれるコースのメインルート、45kmの道のりを二泊三日で行ってきた。45km!? さぞや苦行かと思うかもしれないが、数年間、トレイル・ランニングをやっていることもあり、自分にとって45kmは、頑張れば一日ちょっとで走れる距離。それを3日間かけて行くのだから、たいしたことはない。そうは言っても、熊野古道を歩いている途中で雷に打たれるような啓示が降りてきたってわけでもない。むしろ、旅行を終えてから時間が経ち、じわじわと移住の考えが湧いてきた。なので、その思いを生み出すことになった旅行中の思い出を書いておきたい。たぶん、それは移住を決めた思いに含まれているはずだから。
一つ目は田辺に住んでいる嫁の先輩だ。もともと銀行マンだったけど、脱サラして、今は田辺の山奥で備長炭作りと販売を生業(http://somabito.com/)として、兄弟3人で会社を経営しながら仲良く暮らしている。街道から軽自動車がやっと通れる山道をひたすら登っていくと、方々を山に囲まれた自然のなかに、兄弟とその家族の家が三つ並んで建っている。ご飯は三家族全員が集まって食べるほどの仲良し。3人で仕事の話をしているときも何だか楽しそうだ。畑には山羊を飼っていて(雑草はあんまり食べてくれないらしいけど)、ゆったりとした時間が流れていた。もちろん田舎ならではの大変なこともあるだろう。それを鑑みても、いい生活だなと思った。

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もうひとつは一日目にとまった宿泊先。熊野古道館から近露王子まで歩き、高原(たかはら)という場所に若くして移住してきた夫婦が営む宿、すずしろに泊まった。2〜3人が泊まれる小さな貸別荘で、和な雰囲気の寝室、リビングの食器、ロフトのインテリア、ハンモックが置かれたウッドデッキ、お金をかけずに一手間を入れるというセンスが良かった。あとから話を聞くと、もともとは自分たちが住むつもりで建てたけど、貸してみたらどうかということで、やってみたという。この貸し宿に泊まったのをきっかけに、もしかしたら、小さいコテージでも建てながら、田舎暮らしならできるかな……なんて、漠然と思ったりもした。

DCIM100GOPROGOPR0255.シンプルだけどとっても居心地のいいコテージ

DCIM100GOPROG0840424.熊野本宮

この貸し宿&田舎暮らしが、嫁の心に火を付けることになった。というのも、嫁の知り合いで、LAとメキシコを行き来しているアンさんとジェフさんという先輩のアメリカ人夫婦がいる。彼らは僕らと同じカメラマンとライターを生業にし、現在はほとんどメキシコで暮らしている。そんな彼らもちょうどメキシコの家がある敷地内にもうひとつ小さな家を建てて、片方を貸し別荘にしようとしていた。そんなふうに自分達が思い描く未来を体現するモデルがいたこともあり、自分たちにもできるんじゃない? と。田舎への移住が現実味を帯びてきたのだった。